カテゴリー : 網膜剥離闘病記

網膜剥離闘病記 その2

2010年11月30日
下着その他の入院準備品を持って朝一にM眼科へ行き、紹介状をもらってK病院へ。
受付で紹介状を提示すると、3階の眼科へ行くように言われる。
その時、受付に「紹介状がない方は8400円もらいます」という内容の張り紙を見て、そんな制度があるのかと驚く。

視力検査や眼圧の検査など、一通りの検査をした後、例によって瞳孔を開く目薬をしてK先生の受診を受けました。
K先生は眼科の副部長らしく品のある方で、信頼できそうな女医さんでした。
M先生の診断と同じく網膜剥離であることを告げられ、明日手術しますと言われました。
またもやいきなり明日か!と思うも、剥離が進まないうちに早く手術すべきなので早期対応してもらえるのはありがたい話です。
手術説明のため家族を呼ぶようにとのことで、夕方頃に母親と婚約中の嫁さんに来てもらいました。

実は年明け1月15日に結婚式を控えており、その準備中のさなかにこんな病気が発覚したのです。
病気発覚がもう少し遅かったら入院中に1月15日を迎えてしまい、結婚式があわやキャンセルになるところでした。
このことも不幸中の幸いでした。
不幸だったのは医療保険なのですが、また次以降に書きたいと思います。

手術の概要は、左眼内の硝子体をすべて除去し、剥がれた網膜を元の位置に戻してガスを注入するとのことでした。
目の中には硝子体というゼリー状の物質が詰まっており、年をとるとそのゼリーがスカスカになってくるようです。
スカスカになって繊維状になった硝子体が自分の目で見えてしまうのが飛蚊症とのことです。
私の場合は、硝子体と網膜が癒着しており、硝子体が縮小していく過程で網膜を引っ張ってしまい、その力で網膜が剥がれてしまったようです。
原因となっている硝子体をすべて取り除けば剥離しないという結論です。
ガスを入れる理由は、術後しばらくの間ガスの力で網膜を圧迫して眼内に張りつけ、剥がれた部分を元の位置に固定するためです。

さらに手術の際に水晶体が邪魔になるため、これも除去してしまい、最後に人工レンズを入れる可能性があるとも告げられました。
これはいわゆる「白内障手術」に該当するため、その同意書にサインしました。
30歳そこそこで白内障手術とは…さすがにこれには愕然としました。
水晶体の機能は年齢的にまだ若いので何の問題もなく、なるべくそうならないように努力するということでした。

説明を聞きに来てもらった二人の不安そうな顔を今でも覚えています。
母親は少し泣いていたような記憶もあります。
自分も含めて兄弟3人の中でこんな大病を患ったのがこのときが初めてなので、動揺したのでしょう。
自分ではどうすることもできませんので、K先生に身を任せて明日の手術が無事成功するのを祈るしかありません。
その日の夜に人生で初めて病院食を食べましたが、薄味ながら量が多くて、全部食べたらお腹いっぱいになりました。
その3へ続く…

網膜剥離闘病記 その1

2010年11月28日
以前から両目とも飛蚊症の症状があったのですが、治療することもできませんのであまり気にしていませんでした。
最近、飛ぶ量が増えたかな?という自覚症状(あくまで後から考えるとそうだったな、という程度です。)はありましたが、日常生活に差し支えありませんでしたので放置していました。
そして、この日の数日前から、どうも目の見え方が変だなぁ?という自覚症状が現れました。
数日間様子を見ましたが全く治らないので、右目を閉じて左目だけで見るようにして見え方を確認すると、なんと見えていない部分があるではありませんか!
やっと左目の視野の一部が欠けていることに気づき、これはすぐに眼科に行かねばと不安に思いながら眠りにつきました。

2010年11月29日
仕事終わりにM眼科で受診しました。
当時の仕事場はビルの3階で、偶然1階にM眼科があり、そこへ行きました。
今思えば仕事場の下に眼科があったので迷わず行きましたが、もしなければどこの眼科に行こうかとリサーチしている間に病状が悪化していたかもしれないと思うと、これは不幸中の幸いでした。

瞳孔を開かせる目薬をした後、眼科特有の暗室でM先生に左目の中をみていただきました。
すぐに原因がわかったようで、これは大変な病気ですと前置きされ、「裂孔原性網膜剥離」のはんこが押された紙を渡されました。
この病名の前半の意味は全くわからず、後半の4文字だけが頭の中に飛び込んできました。
網膜剥離?ボクサーがよくなる病気やな??殴られたことない自分が何でこんな病気になるんやろ???
M先生から以下のことを告げられました。
・早速明日から入院すること。
・特に希望する病院がなければK病院(紹介状がなければ結構なお金がかかる大病院です)に入院。
・明日朝9時に紹介状を取りに来て、その足でそのままK病院へ行くこと。
(その時は知らなかったのですが、M先生は元々K病院で活躍されていた名医だったのです。)

えっ?いきなり明日入院?マジでか…と思いましたが、失明するかもしれない事態では指示に従うほかありません。
どんな手術になるのか不安で一杯でしたが、今ならまだ間に合うというM先生の言葉を信じて明日から入院することを決心しました。

続きはまた次回。