カテゴリー : 網膜剥離闘病記

網膜剥離闘病記おまけ 入院中の合格発表

入院即手術から1週間少々経った12月10日に、税理士試験の合格発表日を控えておりました。
当時私は消費税法の受験をしており、これに合格すると合計5科目合格となり、晴れて税理士試験合格者となることができる状態でした。
もし合格していれば、当日に政府が発行する官報に合格者の名前が掲載されます。
いわゆる「官報合格」というやつです。
官報合格の可能性がある人は皆同じ行動をすると思うのですが、インターネットでこの官報を見ることができ、自分の名前があれば合格したことがすぐにわかります。
しかしながら、なんとも皮肉なことにこの運命の日を入院中に迎えることになってしまったのです。

当時はスマートフォンもありませんし、病室にパソコンを持ち込むこともしていませんでしたので、自分では確認できなかったのです…
仕方がありませんので、婚約中の嫁さんに私の名前が載っているかの確認をしてもらうことになりました。
ネット上にアップされるのが8時半頃ですので、朝食後に病院の広い待合で携帯メールの着信を待ちました。
そしてブルルッと着信の知らせがあり、恐る恐るメールの確認をすると……「名前書いてある!」とのこと。
病棟内かつ下向き姿勢をしていなければならなかったので、喜びを全く表現することができませんでしたが、心の中では上を向いて万歳三唱をしておりました。
最悪の状況下での合格発表となりましたが、今となってはよい思い出です。

網膜剥離闘病記 その6

術後は特に問題が起きることなく、順調に回復していきました。
24時間下向き姿勢にも耐え続け、何回か気がおかしくなりそうな瞬間もありましたが、10日ほど経ったときに寝るときのみ横向きOKの指示がでて、退院日の2,3日前には下向き姿勢解除となりました。
その時の開放感は言葉では言い表すことができません。
自由って素晴らしいと思いました。

家族が病院にお寿司やすき家の牛丼を持ってきてくれ、下界の食べ物はなんとうまいのかと感動していたのはよい思い出です。
病院食は量は多いのですが、やはり薄味で毎日続くと飽きてくるのです。
健康にはいいのでしょうけど…

剥がれた網膜は元に戻ったのでよかったのですが、最初に穴が空いた部分は手術しても元に戻らず、今でも左目の視野の一部が欠けた状態です。
といっても日常生活には支障がないくらいの小さい範囲ですので問題ありません。
退院から1年半経過した今でも定期的にM眼科に通って眼内の様子を診てもらっています。
おそらく一生眼科には通い続けることになるのでしょう。
退院後3ヶ月くらいの時に、右目の網膜にも穴が空いているということで、レーザー凝固手術を受けました。
早期発見できれば網膜剥離も予防が可能です。
皆様も目の見え方に異変があればすぐに眼科を受診してください。

今回で終わりにしようと思ったのですが、個人的に感慨深いネタが一つありますので、あと1話だけ続きます。

網膜剥離闘病記 その5

2010年12月3日以降の入院生活
4人で一室の相部屋でした。
自分以外の同部屋の人は以下の2タイプでした。
1.白内障の手術のために入院する人
2.糖尿病が悪化してしばらく入院する人
1の人は2,3日すれば退院するので、入れ替わりが激しかったです。
2の人は私が入院している2週間少々の間に1回だけ入れ替わりがあった気がします。
糖尿病が悪化すると目に影響が出るようで、ほとんど見えないようでした。
最初は糖尿病患者がなぜ眼科病棟にいるの?と思いましたが、そういう理由があったのです。

入院中の左目の見え方ですが、水面上の空気が黄色く濁った水槽を逆さまにして見ている感じでした。
眼内の状態を網膜で認識する際に上下反対に映るため、水面が上になって見えるのです。
そして日を追うごとにその水面が少しずつ下に移動していくのです。
自然に手術時に充填した黄色いガスが抜けていき代わりに水で満たされていくごとに、その境界線が下に降りてくるのです。
なんとも不思議というか、目の見え方の仕組みを肌で感じることになってしまいました。

友人がお見舞いに来てくれるのですが、24時間下を向いていないといけないので顔を合わせることができません。
ずっと下を向いて話さなくてはならないので、そのうち落ち込んでいるのでは?とどうしても思われるのです。
「いやそんなことはないで」と口では伝えるのですが、どうしてもそう見えてしまうのでしょう。
やはり人の見た目は大事です。
たとえ本当に落ち込んでいたとしても、会う人には元気を与えられるように常に明るく振舞うようにしなければと思います。
闘病記は次回をもって最終回にしたいと思います。

網膜剥離闘病記 その4

2010年12月2日
「指定された姿勢」で過ごす日々が始まりました。
どんな姿勢かというと、常に顔を下向きにする姿勢です。
24時間下を向いて過ごさなければなりません。
もちろん寝ている間もです。
理由は、眼内に注入したガスの圧力を利用して、元の位置に戻した網膜を押さえつけるためです。
網膜は目の裏側にあるため、下を向くことによって網膜が上側の位置になり、ガス圧で押さえることができるという仕組みです。
時間が経てばガスは自然に抜けていき、代わりに眼内に水がたまっていくらしいです。
下向き解除が許されるのは、毎朝の診察時と、1日3回の目薬の時間だけです。
うまく網膜がくっつかない場合は再手術ということも聞かされておりまして、手術そのものの恐ろしさに比べたら下向き姿勢など楽なもんだと考えて、くっつけくっつけと祈りながら下向きを続けました。
次回へ続きます…

網膜剥離闘病記 その3

2010年12月1日
手術の日です。
午前中は普通に過ごし、手術は夕方4時頃開始予定です。
開始予定時刻から少し遅れ、病室で注射や点滴の準備をして車椅子で手術室へ向かいました。
車椅子に乗るのも人生初でした。
手術室に入る前に、一旦手前のリラックスゾーンなんでしょうか?音楽がかかる小部屋で少し待機させられた後、手術室へ入りました。
自分で手術台の上に横になると、テレビの手術シーンでよくみる例の濃い緑色の衣をかぶせられ、左目に水中ゴーグルみたいなものを装着されました。
ここまで来るともう後戻りはできません…先生に全て委ねて成功を祈るしかないと改めて決意しました。

最初に白目部分に部分麻酔をします。
目に直接注射するのですが、自分の目では見えませんので、チクッと痛いだけで終わります。
白目部分に3つの穴を開け、レーザーや照明などの器具を眼内に挿入して手術が実行されます。
硝子体除去⇒網膜をレーザー凝固⇒ガス注入、という流れで手術は進みます。
網膜と硝子体の癒着が激しかったようで、3時間に及ぶ大手術になりましたが無事完了しました。
結果的に水晶体の除去も行われることなく、30台前半で白内障手術という危機もまぬがれました。

この手術の怖さは実際に体験した人にしかわからないと思うのですが、手術中ずっと目は見えたままなのです。
はっきりとは見えないですが、硝子体が切り取られている感じやレーザーの光が動くのはわかるので、自分の目がえらいことになっているという緊張感に常時包まれます。
いったいいつ終わるのか…早く終わってくれ…と願うこと3時間、今思えばよく耐えたと思います。

病室に戻ったら汗びっしょりになっており、すぐに着替えましました。
これは暑いから出た汗ではなく、緊張から発生した汗でびっしょりになっていたのです。
着替えた後の開放感は人生最大のものでしたが、指定された姿勢を保つ必要があったため、明日以後のことを思うとすぐに憂鬱感に覆われてしまいました…
その「指定された姿勢」とは? 術後の話は次以降で。

後日談ですが、手術の様子が病棟のモニターに生中継されていたようで、両親と嫁さんは手術を見ていたようです。
医師の研修用に録画していたのでしょうか? 撮影理由はよくわかりません。
どんな様子だったのか後で嫁さんに聞くと、とにかく目の中をずっとグリグリやっていて、それが画面に映っていたとのことで、それは恐ろしい光景だったのだろうと想像します。