元サッカー日本代表宮本選手が現役引退

宮本選手は高校の1つ先輩で、当時はガンバユースに所属していてすでに有名人でした。
文化祭のミニサッカー大会で私がキーパーをしていたのですが、宮本さんのチームと対戦することとなり、シュートを2本ほど決められたのが記憶に残っています。
サッカーをやりながら普通に一般入試で同志社大学に合格するという、文武両道の鏡のような方で大変尊敬しております。
今後はFIFA大学院で勉強されるとのことで、必ずや日本サッカーの発展に貢献されることと思います。
陰ながら応援し続けたいと思います。

網膜剥離闘病記 その3

2010年12月1日
手術の日です。
午前中は普通に過ごし、手術は夕方4時頃開始予定です。
開始予定時刻から少し遅れ、病室で注射や点滴の準備をして車椅子で手術室へ向かいました。
車椅子に乗るのも人生初でした。
手術室に入る前に、一旦手前のリラックスゾーンなんでしょうか?音楽がかかる小部屋で少し待機させられた後、手術室へ入りました。
自分で手術台の上に横になると、テレビの手術シーンでよくみる例の濃い緑色の衣をかぶせられ、左目に水中ゴーグルみたいなものを装着されました。
ここまで来るともう後戻りはできません…先生に全て委ねて成功を祈るしかないと改めて決意しました。

最初に白目部分に部分麻酔をします。
目に直接注射するのですが、自分の目では見えませんので、チクッと痛いだけで終わります。
白目部分に3つの穴を開け、レーザーや照明などの器具を眼内に挿入して手術が実行されます。
硝子体除去⇒網膜をレーザー凝固⇒ガス注入、という流れで手術は進みます。
網膜と硝子体の癒着が激しかったようで、3時間に及ぶ大手術になりましたが無事完了しました。
結果的に水晶体の除去も行われることなく、30台前半で白内障手術という危機もまぬがれました。

この手術の怖さは実際に体験した人にしかわからないと思うのですが、手術中ずっと目は見えたままなのです。
はっきりとは見えないですが、硝子体が切り取られている感じやレーザーの光が動くのはわかるので、自分の目がえらいことになっているという緊張感に常時包まれます。
いったいいつ終わるのか…早く終わってくれ…と願うこと3時間、今思えばよく耐えたと思います。

病室に戻ったら汗びっしょりになっており、すぐに着替えましました。
これは暑いから出た汗ではなく、緊張から発生した汗でびっしょりになっていたのです。
着替えた後の開放感は人生最大のものでしたが、指定された姿勢を保つ必要があったため、明日以後のことを思うとすぐに憂鬱感に覆われてしまいました…
その「指定された姿勢」とは? 術後の話は次以降で。

後日談ですが、手術の様子が病棟のモニターに生中継されていたようで、両親と嫁さんは手術を見ていたようです。
医師の研修用に録画していたのでしょうか? 撮影理由はよくわかりません。
どんな様子だったのか後で嫁さんに聞くと、とにかく目の中をずっとグリグリやっていて、それが画面に映っていたとのことで、それは恐ろしい光景だったのだろうと想像します。

網膜剥離闘病記 その2

2010年11月30日
下着その他の入院準備品を持って朝一にM眼科へ行き、紹介状をもらってK病院へ。
受付で紹介状を提示すると、3階の眼科へ行くように言われる。
その時、受付に「紹介状がない方は8400円もらいます」という内容の張り紙を見て、そんな制度があるのかと驚く。

視力検査や眼圧の検査など、一通りの検査をした後、例によって瞳孔を開く目薬をしてK先生の受診を受けました。
K先生は眼科の副部長らしく品のある方で、信頼できそうな女医さんでした。
M先生の診断と同じく網膜剥離であることを告げられ、明日手術しますと言われました。
またもやいきなり明日か!と思うも、剥離が進まないうちに早く手術すべきなので早期対応してもらえるのはありがたい話です。
手術説明のため家族を呼ぶようにとのことで、夕方頃に母親と婚約中の嫁さんに来てもらいました。

実は年明け1月15日に結婚式を控えており、その準備中のさなかにこんな病気が発覚したのです。
病気発覚がもう少し遅かったら入院中に1月15日を迎えてしまい、結婚式があわやキャンセルになるところでした。
このことも不幸中の幸いでした。
不幸だったのは医療保険なのですが、また次以降に書きたいと思います。

手術の概要は、左眼内の硝子体をすべて除去し、剥がれた網膜を元の位置に戻してガスを注入するとのことでした。
目の中には硝子体というゼリー状の物質が詰まっており、年をとるとそのゼリーがスカスカになってくるようです。
スカスカになって繊維状になった硝子体が自分の目で見えてしまうのが飛蚊症とのことです。
私の場合は、硝子体と網膜が癒着しており、硝子体が縮小していく過程で網膜を引っ張ってしまい、その力で網膜が剥がれてしまったようです。
原因となっている硝子体をすべて取り除けば剥離しないという結論です。
ガスを入れる理由は、術後しばらくの間ガスの力で網膜を圧迫して眼内に張りつけ、剥がれた部分を元の位置に固定するためです。

さらに手術の際に水晶体が邪魔になるため、これも除去してしまい、最後に人工レンズを入れる可能性があるとも告げられました。
これはいわゆる「白内障手術」に該当するため、その同意書にサインしました。
30歳そこそこで白内障手術とは…さすがにこれには愕然としました。
水晶体の機能は年齢的にまだ若いので何の問題もなく、なるべくそうならないように努力するということでした。

説明を聞きに来てもらった二人の不安そうな顔を今でも覚えています。
母親は少し泣いていたような記憶もあります。
自分も含めて兄弟3人の中でこんな大病を患ったのがこのときが初めてなので、動揺したのでしょう。
自分ではどうすることもできませんので、K先生に身を任せて明日の手術が無事成功するのを祈るしかありません。
その日の夜に人生で初めて病院食を食べましたが、薄味ながら量が多くて、全部食べたらお腹いっぱいになりました。
その3へ続く…

小規模企業共済加入をお勧めします

私は国の広報部長でも何でもないのですが、中小企業経営者及び共同経営者並びに個人事業主の方に、小規模企業共済への加入をお勧めしています。
関与先で未加入の方には必ずパンフレット等をお渡ししてお勧めするのですが、ウェブサイト上でも記事にしておこうと思い立ちましたので記載させていただきます。

【小規模企業共済とは?】
独立行政法人中小企業基盤整備機構が運営している「経営者の退職金制度」です。
自分で掛金の金額を設定し、その掛金を支払います。
最高で年額84万円まで掛けることができ、なんとその全額が所得控除の対象になります。
高所得者で最高税率(所得税住民税合計50%)を負担されている方なら税負担を42万円軽減できます。
生命保険や地震保険の所得控除額とは比べ物になりません。
最終的に引退または廃業した場合に「退職金」として掛金総額+αを受け取れます。

この「退職金」がメリット大で、退職所得は税制上優遇されているため多くの場合で税が課されません。
毎年の所得から掛金全額が控除され、受取時には税が課されず増額されて戻ってくる…株式やゴールドに投資する資金があるなら真っ先に加入すべきです。

退職所得の金額の計算上、加入期間が長ければ長いほど退職所得控除額が大きくなります。
ですので、たとえ少額であっても早期に加入して加入期間をできるだけ長くすべきです。
私も開業後すぐに加入しました。(金額はわずかですが…)
掛金は毎年変更が可能ですので、その時の資金状況に応じて加減すればとよいと思います。

網膜剥離闘病記 その1

2010年11月28日
以前から両目とも飛蚊症の症状があったのですが、治療することもできませんのであまり気にしていませんでした。
最近、飛ぶ量が増えたかな?という自覚症状(あくまで後から考えるとそうだったな、という程度です。)はありましたが、日常生活に差し支えありませんでしたので放置していました。
そして、この日の数日前から、どうも目の見え方が変だなぁ?という自覚症状が現れました。
数日間様子を見ましたが全く治らないので、右目を閉じて左目だけで見るようにして見え方を確認すると、なんと見えていない部分があるではありませんか!
やっと左目の視野の一部が欠けていることに気づき、これはすぐに眼科に行かねばと不安に思いながら眠りにつきました。

2010年11月29日
仕事終わりにM眼科で受診しました。
当時の仕事場はビルの3階で、偶然1階にM眼科があり、そこへ行きました。
今思えば仕事場の下に眼科があったので迷わず行きましたが、もしなければどこの眼科に行こうかとリサーチしている間に病状が悪化していたかもしれないと思うと、これは不幸中の幸いでした。

瞳孔を開かせる目薬をした後、眼科特有の暗室でM先生に左目の中をみていただきました。
すぐに原因がわかったようで、これは大変な病気ですと前置きされ、「裂孔原性網膜剥離」のはんこが押された紙を渡されました。
この病名の前半の意味は全くわからず、後半の4文字だけが頭の中に飛び込んできました。
網膜剥離?ボクサーがよくなる病気やな??殴られたことない自分が何でこんな病気になるんやろ???
M先生から以下のことを告げられました。
・早速明日から入院すること。
・特に希望する病院がなければK病院(紹介状がなければ結構なお金がかかる大病院です)に入院。
・明日朝9時に紹介状を取りに来て、その足でそのままK病院へ行くこと。
(その時は知らなかったのですが、M先生は元々K病院で活躍されていた名医だったのです。)

えっ?いきなり明日入院?マジでか…と思いましたが、失明するかもしれない事態では指示に従うほかありません。
どんな手術になるのか不安で一杯でしたが、今ならまだ間に合うというM先生の言葉を信じて明日から入院することを決心しました。

続きはまた次回。